第一回 ケチャップリンたび彦

30周年を迎える野毛大道芸。初回から野毛大道芸の歩みを見てきた森直実(野毛大道芸アートディレクター・アドバイザー)が語るディープな芸人列伝、連載開始。

 

ケチャップリンたび彦

 

この人、1986年の第1回「野毛大道芸ふぇすていばる」に出ている、数少ない芸人(アーティストの意味で使う)さんの一人だ。第1回目から出演した、パン猪狩、早野凡平、サイクル松林、北京来々さん達は、もうとっくに亡くなられた。それだけに、今に続く「野毛大道芸」の貴重な生き証人でもある。…「ふぇすていばる」の文字は、5年目から消えた。

 

たび彦さんに、1986年始めて出会ったと時に、非常にセンスの良い服を着こなしているので、私は「オヤ!」と思った。後から聞けば、日大芸術学部デザイン科卒であるというから、納得した。当時、黎明期の東京ディズニーランドと契約し、1983年から4年間に渡り出演していた頃である。

 

日大芸術学部を卒業後、「東京マイム研究所」に所属し、フリーになった。1981年に、パントマイム修行のために訪仏し、サンジェルマン・デ・プレ、ポンピドーセンターなどで大道芸をしながら、マイムを自然に身につけた。帰国後、1986年から「イクオ三橋」氏主幹の「むごん劇かんぱにぃ」の一員として、全国の親子劇場を巡演した。1986年から始まった野毛大道芸に出演したのも、イクオ三橋氏がその初代プロデューサーであった関係である。「野毛大道芸ふえすてぃばる」は、初代プロデューサーであった「イクオ三橋」氏抜きには語れない。三橋さんには、いずれこのコラムでご登場願おう。

 

「ケチャプリンたび彦」の魅力とはなんだろう。それは、学んでも訓練しても身につく事ができない「天然ボケ」にあると思う。彼は、やや耳が遠い事もあって、時たまチンプンカンプンな受け答えをする。いや違う、煙に巻かれるというか、現実から離れ何時もチンプンカンプンなのだ。話が通じていないわけではないのだが、チンプンカンプン。そして独特の洒落とアイロニィがある。嫌味がなくチャーミングである。そこに、真似のできないクラウン(道化)的な可笑しさがあり、これは天性のもので他は到底追随できない。

 

彼は、国内外、色々と活躍されてきた。だが、テレビが中心の芸能人、タレントとは異なるから、「ケチャップリンたび彦」を知らない人がほとんどであろう。2005年日本テレビ「ART・DAIDOGEI」スペシャルアーティスト賞と奨励賞をダブル受賞した事が、表彰とか勲章に縁のない生活を貫いてきた彼の勲章である。長い歳月を経て、2016年4月23•24日、30周年記念「野毛大道芸」に登場する「ケチャップリンたび彦」を、どうかお見逃しなく。

 

(写真/文 森 直実)

野毛大道芸

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