第七回 エスコーラ・ヂ・サンバ・サウージ

30周年を迎える野毛大道芸。初回から野毛大道芸の歩みを見てきた森直実(野毛大道芸アートディレクター・アドバイザー)が語るディープな芸人列伝。

 

エスコーラ・ヂ・サンバ・サウージ

 

横浜を代表するサンバチーム「エスコーラ・ヂ・サンバ・サウージ」は、1986年に結成された。「横浜」というよりは、「野毛のサンバチーム」と私は言いたい。

 

チーム結成30年であり、奇妙にも「野毛大道芸」と同じ歴史を持つ。創設された1986年には、今に続く「緑とピンク」のチームカラーがすでに決定されている。また、この年に「第6回浅草サンバカーニバル」にすでに出場しているのは驚きだ。創設時から路線がしっかりしたものであり、ヴィジョンが明快で先見の明がある。凄い!これは大したものだと思う。

 

私が懐かしく思うのは、野毛の飲食店「浜幸」のマスターが1987年から、サンバ・サウージに参加したことである。私が当時「浜幸」で呑んでいた関係で、マスターから聞いてこのチームの存在を知った。お洒落で、魅力的であったマスターも、残念ながら亡くなってしまった。だが幸いな事に「浜幸」は、親戚筋の方に引き継がれたとかで存続していて、野毛に健在だ。「浜幸」の名物「馬鹿鍋」とか、上等な「馬刺し」類は時々食べたくなる。「馬鹿鍋」とは馬肉と鹿肉を取り合わせたすき焼き風鍋で、中々美味い。馬肉の上には桜花型の麩が、鹿肉の上には紅葉型の麩が載っていて、この意味に気が付かぬ人もあるがチョット洒落ている。洒落は、目立たぬようにするのが王道だ。そうそう、亡くなったマスターの服なども目立たぬところに金をかけていたのを思い出す。マスターが亡くなった時「エスコーラ・ヂ・サンバ・サウージ」のチームが黄昏時に集まり「浜幸」の前で追悼のサンバを演じた。その様子を見ていた私は、目頭が熱くなった。

 

野毛大道芸に併設されて行われた「野毛大道芝居」にも、サンバ・サウージはゲスト出演したことなども懐かしい。

 

サンバの事情通や愛好家でないと、値打ちや意味がわかりにくいが、浅草の名門サンバカーニバルで「エスコーラ・ヂ・サンバ・サウージ」は3回も優勝している。一般には分かりにくいが、この意味するところは大変で、偉大な出来事である。水準の高い浅草で優勝するのは至難の事であり、この輝かしい優勝フラッグが多摩川を越えたのは、何とこの三回だけなのである。しかもサンバ・サウージ結成30年の昨年、三回目の優勝を果たした。

 

ブラジルの本場チームともサンバ・サウージは交流している。これは半端なものではない。三回の優勝は考えられないような苦労、訓練、修練、研習の賜物であろうと思う。しかし、無論カーニバルではそんな様子は微塵も見せない。ピュアで明るく、あくまでも華やかに見える。
ポルトガル語でサウージとは「健康」「郷愁」「哀愁」「懐かしさ」の意味であると言う。また、エスコーラとは「学校」という意味とか。この言葉の意味をしっかり背負ったチーム名であると、私は感心するし、またそのように活躍してきたサンバチームである。

 

今年の「野毛大道芸」の缶バッジは、サンバ・サウージのチームカラーの「緑とピンク」を採用した。細やかなものですが、ここにお祝いの気持ちがあります。

 

乾杯の時に、ポルトガル語で「サウージ」という発声する事もあります。

 

結成30周年に「サウージ!」

今年の30周年記念「野毛大道芸」に、結成30周年の「エスコーラ・ヂ・サンバ・サウージ」が登場します。お楽しみください。ご声援よろしくお願いします。

 

(写真/文 森 直実)

野毛大道芸

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