野毛はさまざまな顔をもっています。
横浜開港(日本開国)の面影を150年後の今日に伝える「歴史の町」、図書館や音楽堂、大衆演劇場がある「文化の町」、緑濃い公園が多く、動物園もある「レジャーの町」、そして何よりも半径250m以内に約500店もの飲食店がひしめく「飲み食いの町」です。
開港以前の野毛は野毛浦と呼ばれる半農半漁の村で、名物といえば海苔と蒲焼。それが安政6年(1859)の横浜開港で町の様子が一変します。幕府は開港場への近道である「横浜道」を野毛に通し、神奈川奉行所、太田陣屋を設置しました。当時の模様は「野毛の山からノーエ~」の歌詞で知られる「ノーエ節」に歌われています。
やがて明治維新。野毛は鉄道、ガス、近代水道発祥の地となります。東京大学医学部・付属病院、横浜市立大学付属病院も実は野毛が発祥の地なのです。明治中期には山手の異人館と対抗するかのように、野毛山に横浜商人の大物の広壮な別邸が競いあうように建ち並びました。
戦後、野毛は再び輝きを放ちます。空襲で焼け野原となった野毛には闇市が広がり、露店街がモノと食に飢えた庶民を引き寄せました。
「野毛では金さえ出せば何でも食える」。そんな喧騒の中から昭和の歌姫・美空ひばりが大きく羽ばたき、ジャズの名プレーヤーたちが育ちました。戦後は今でもひょっとした瞬間、裏通りに顔をのぞかせます。
昭和61年(1986)、町に彩りを添える「野毛大道芸」がスタートしました。野毛が誇る新しい名物です。
さあ、そんな野毛の歴史を、文化を訪ねてみてください。探訪に疲れたら、あるいは散歩の仕上げにはお気に入りの店に入って、心ゆくまで飲み、食べてください。